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日光東照宮、徳川家康を神格化した東照大権現

 2020年10月 北関東の軽キャン漫遊記
10月28日中禅寺湖車中泊~いろは坂~東照宮へ6:30に到着早すぎました。🤣
いろは坂(いろはざか)は栃木県日光市馬返から、同市中禅寺湖畔間の国道120号の坂道を指します。 いろは坂の名称は、初期のいろは坂が48箇所のヘアピンカーブがあったことからその名が付けられまして初期のいろは坂から改良された現在の「いろは坂」は、華厳滝がある華厳渓谷を挟むように、北側に山下り専用の第一いろは坂と、南側に山登り専用の第二いろは坂に分けられて各一方通行です。この二つの坂に存在する48のカーブをいろは48音に例えており、個々のカーブには音に対応するひらがな文字板が建てられている。二つの坂道は、ふもとの馬返(うまがえし)と山頂の中禅寺湖畔でそれぞれ合流します。120号線の朝晩の混雑は名物みたいです、あきれます。
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る日光東照宮の建物には、多様な動物の木彫像が見られます。これらの動物のほとんどは平和を象徴している。眠り猫は踏ん張っていることから、実は家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして、裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているとも言われています。陽明門は、建物全体がおびただしい数の極彩色彫刻で覆われ、一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」と呼ばれています。奥社(徳川家康墓)、行くには石段を220段上ると 唐門と銅宝塔が有り此を1周して下りました。クタクタになりました。 此から奥塩原温泉街の下藤や旅館へ行きます。

徳川家康を神格化した東照大権現の墓


青銅製です

200段の階段を上りました

屋内は撮影禁止でした
余談です。
元和2年4月17日(1616年6月1日)、家康は駿府城で死去。柩は久能山に運ばれ、遺言に従って江戸幕府は同年12月(翌1617年1月)に久能山に東照社を創建した。これに伴い、朝廷は翌元和3年2月21日(1617年3月28日)、神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣下するとともに正一位を贈位、さらに、神格化された家康本人に対しても同年3月9日(4月14日)正一位を贈位している。幕府は日光にも建設を進め、家康死去から1周忌にあたる同年4月17日(5月21日)に遷座祭を挙行し、2つの東照大権現が並立した。
しかしその後も各地の徳川・松平一門大名家、また3代将軍徳川家光による諸大名への造営の進言もあって譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名家も競って建立し、全国で500社を超える東照宮が造られた(廃絶されたものを含めると約700社が確認されている[1])。
1645年(正保2年)に宮号の宣下があり、東照大権現は東照宮と称するようになった。
しかし明治維新以後の廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社とされる。

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